息子の介護

母です。

 

10代のころ,有吉佐和子の『恍惚の人』を読み,嫁が認知症になった舅の排泄物に振り回される話に衝撃を受けた。

同じころ,私の母は,父方の祖母の世話をするために遠方の土地に何度も出かけていた。母は,自宅で寝たきりになっても施設入所を拒否する祖母に手を焼き,祖母の近くに住む二男夫妻への愚痴を言うこともあった。

世間では,「長男の嫁」が舅や姑の介護の負担をするのが当然と思われていたが,釈然としない気分だった。 

それから40年以上が経って舅や姑という言葉はほとんど聞かなくなり,嫁ではなく娘や息子が実父母の介護を考えるのが普通になった。配偶者の両親よりも自分の両親の介護を優先しようとするのは自然なことだと思う。

そして,看護婦は看護師となり,介護施設の男性スタッフも珍しくなくなった。オトコが介護することに昔ほど抵抗がなくなり,息子だからといって介護から逃げる口実にはならなくなった。

  

先日,『母さん,ごめん。』(松浦晋也 日経BP者)というノンフィクションが出版された。普段なら,こんなべたなタイトルの本は手に取らないが,この時代になっても息子の介護奮闘記は珍しいと思って読んでみた。

著者の「50代独身男」が,認知症が進行していく同居する母親を単身で介護した記録。

わが子のおむつ替えも経験したことがない息子が母親の粗相の後始末をするのは,心理的にも物理的にも大変だっただろう。しっかり者だった母親とコミュニケーションができなくなっていく情けなさやつらさもよくわかる。

 

ただ,同世代の多くの女性たちなら,この程度の事態を受け入れることに著者ほど大きな抵抗はなかったと思う。

そもそも,母親の異変に気付いてから介護保険を申請してデイサービス等を利用するに至るまでが長すぎる。情報があふれているこの時代。ライターとして実績を重ねた著者なら,困った事態が起きたときに公的支援を受ける手続を取ることなどすぐに思いついたはずなのに。

また,日常的に悩まされるようになった母親の粗相についても,最近どんどん開発されてきた紙パンツ等で対応することだって考えられたのではないか。

著者にそんな知識や知恵がなかったはずはない。でも,この世代の男性は,家族にじかに接触して愛情表現したり,手を汚して家事をしたりすることに慣れていない。しかも,いくつになっても母親は無垢で清純な女性であってほしいと願うのが息子の本能のようだ。

そんな「50代独身男」は,突如赤ん坊のようになっていく母親を目の前に茫然とし,思考停止に陥っていたにちがいない。

 

もう一つ違和感を覚えたのは,自宅介護が1年半で終了し,施設に入所してやれやれ,というところで介護記録が終わっていること。タイトルから,「母さん」は短期間で亡くなったものとばかり思っていたのに,あれ? という感じ。

著者は,自宅介護を続けられなかったことに「ごめん」と言っているのだろうか。でも,その後の「母さん」の生活はどうなるのだろう。著者との関係はどうなったのだろう。

 

著者が,「母さん」の今後の生活より過去の思い出を大切にしたいと思っているらしいことは,末尾に若きOL時代の「母さん」の記録を載せていることからも明らかだ。

粗相で迷惑をかけまくった母親だけでなく,素敵だった「母さん」を記録しておきたいと思ったのかもしれない。でも,認知症になってからのことをこれだけ赤裸々に暴露された後に若き日の活躍ぶりを書かれてもなあ,と私が「母さん」なら思うだろう。

著者は,母親の人生を集約しかねて戸惑っているように感じた。

 

そういう私も,実は,同居する認知症の母から70年以上前のエピソードを繰り返し聞かされることに辟易し,母の人生をどのように理解したらいいのか悩んでいる。今の母には,結婚後の多様な経験より,愛情を注がれた少女時代の経験の方があたたかく優しい思い出であるようだ。

娘としては少し悲しいが,そんな現在も含めて母の人生だと受け止めようと自分に言い聞かせている。

 

どの時代も輝いていたといえる人生を歩むことは難しい。でも,母が少女時代に感じた愛情とは異質でも,いまの母の日々を大切にして,精一杯の愛情を表現しようと四苦八苦している家族がいるのは,母が結婚後も充実した生活を続けてきたことの成果だと思いたい。

 

オトコは,目の前の問題がなくなれば(または,問題から目をそらせて)解決したと思いこみ,自分にとって美しく都合のよい思い出だけを大切にしようとする傾向がある。 

だからこそ,「50代独身男」が,認知症になった母親の自宅介護を孤軍奮闘してやリ抜いた(1年半だけど!)ことは,ちょっと甘い目に見て褒めてあげようと思う。シビアな娘からは,「おかあさんは,なんのかんの言ってもオトコに甘いよね」と批判されるだろうけれど。

 

オトコもオンナも,それぞれの位置で,両親の衰えていく肉体と精神とどう向き合うか,自分自身の将来と重ね合わせつつ,等しく戸惑い,悩み,苦しんでいるのだろうなと思う。

 

 

西加奈子

この人の小説には,極端なキャラクターの人たちが次々に登場する。

めちゃくちゃな人たちやなあと思いつつ,どの人物にも自分や身近な人と似ている部分があって,引き込まれてしまう。

 

『サラバ』があまりに面白かったので,『サクラ』にも手を出した。

いずれも家族をめぐる物語。

 

サクラは,主人公の家族が飼っていた犬。

痩せっぽっちの仔犬を連れ帰る途中,妹に抱かれた仔犬が振った尻尾からハラリと落ちたピンク色の花びら。妹は,「桜の花びらを産んだ」と喜び,サクラと命名される。

 

それから12年。仲のよかった家族5人は成長し,変化し,不幸な出来事を経験し,皮がむけるように,それぞれの個性が姿をあらわし,てんでばらばらな生活を始める。

 

個性的な家族が,根っこを家族に残しつつもばらばらになっていく過程は,『サラバ』の家族にも似ている。

 

変わらないサクラ。

「あんなに饒舌に,陽気に,それでいて遠慮がちに,僕らに話しかけたサクラ。僕らはサクラが話すのを聞いて,世界がどんなに愛にあふれているかを知ったし,無駄なものはひとつもないのだということを知った・・」。

って言葉,涙が出てきそうだよね。

 

そして,不器用な家族は,サクラをきっかけに,通いあう部分をそれぞれの内心で確認する。

 

元気になりたいときに読んでね。

 

湖畔荘 ケイト・モートン

期待通りだった。上下巻を一挙に読んでしまった。

 

舞台はイギリスのコーンウォールという田舎町とロンドン,1930年代と2000年代を行きしつつ進む話の行く先が気になってしかたがない。

主な登場人物は,コーンウォールの広大な敷地で富裕な生活を営む家族の3世代の女性たちと70年前の謎を解明しようとする女性刑事。その女性刑事は,私生活でも仕事上でも深刻な悩みを抱えているが,休暇を取って育ての親である祖父がいるコーンウェルに滞在中,パーティの最中に家族から大切にされていた男の子が失踪した事件に心を奪われてしまう・・・。

 

どの人物も生き生きと魅力的に描かれている。

10人以上の人たちが次々と登場して,最初は戸惑ったが,読み終えた瞬間,すべての登場人物を家系図付きで書くことができた。

読後,最も素敵だと思った女性は,エリナ。

エリナを娘が評した言葉の一つを紹介しよう。

「・・そこには母の現実世界の見方,独自の道徳観が息づいていた。彼女には正義の感覚が先天的に具わっていた。それは抑制均衡(チェック&バランス)とでもいうべき複雑なシステムで,“公正”と彼女が呼ぶものの尺度を決めていた。」

 

内容の紹介はネットにたくさん出ているが,訳者の青木純子さんのコメントがおもしろかった。

 

キンドルに入っているから,是非読んで!

母は,次はモートンのどの作品に手を伸ばそうかと思案中。

海外のサスペンス

小説を読むのは息をするように自然なこと。昔から,いつも現実の世界と小説の世界を行きつ戻りつしていた。

最近は,海外のサスペンスを楽しむことが多い。

今,読みかけているのは,『湖畔荘』。

ケイト・モートンという女性によるイギリスのコーンウォールを舞台にしたもの。

数年前にキンドルを手にしてから,ハードカバーの小説も手軽に読めるようになってうれしい。

海外の小説は,入り込むまでに時間がかかることがあるが,その世界になじむと,その国の香りに包まれた気分になれる。そして,登場人物の会話のテンポに引き込まれ,メモしておきたいような素敵な言葉を発見できると,ストーリーは二の次になってしまうことも多い。

さて,『湖畔荘』はいかに。

上下があるから,まだまだこれからの展開が楽しみ。

 

これからも,娘に紹介したくなるような本にたくさん出会えますように!

第2弾「母の本」も開設!

母と娘のブログを始めてみたら案外はまったので、

本の虫・母に本のブログも書いてもらうことにしました。

 

信じられないペースでぐんぐん本を読みつくす母の頭の中を少しおすそ分けしてもらいましょう。

 

母さん、こちらもよろしくね。